京都府 智積院 ― 2020年11月20日
智積院は、京都市東山区にある真言宗智山派の総本山です。
1132年、覚鑁(かくばん)が高野山に大伝法院を創建しますが、覚鑁は教義上の対立により修行の場を根来山に移します。 その頃、智積院は大伝法院の塔頭として創建されます。
大伝法院は学問の中心として栄えましたが、豊臣秀吉と対立して焼き討ちにあいます。
関ケ原の戦に徳川家康が勝つと、1601年に豊国神社の土地と建物が与えられ智積院の再興が始まります。
総門
智積院へは三十三間堂から歩いて移動しました。 歩いて数分程度の距離です。
総門なので、ここが寺の入り口なのですが、駐車場などがある別の出入り口があるので、ここから出入りする人は少ないと思います。
智積院は 1682年に火災にあっており、総門も東福門院から移築されたと伝わります。
総門からだと、ここを通って受付のある入り口側に移動します。
左側の塀の先は恐らく講堂だと思います。
人も少なく静かな場所です。
鐘楼堂
1998に建立された鐘楼堂です。 鐘も同じ時期に鋳造されたようです。
鐘楼付近の紅葉は見事で、智積院の中で一番美しかったように思えます。
智積院の境内は、拝観料無しで入れる場所が広いので、お参り後の紅葉散策には良い場所かも知れません。
イチョウの黄色い絨毯も良い感じです。
金堂
一つ前の世代の金堂は、1705年に建立されますが、1882年の火災で焼失します。
長らく仮の建物が本堂として使用されますが、1975年に現在の建物が再建されます。
明王殿
1882年の火災で本堂が消失し、方丈殿が仮本堂として使用されていました。
その仮本堂も 1947年の火災で焼失してしまい、大雲院の本堂が譲渡されて現在の講堂がある場所に移築されます。 1992年に講堂を再建した際、明王殿としてこの場所に移築されました。 ここは、智積院の護摩や祈祷が行われる場所です。
大師堂
階段の上に見える建物が、1789年に落成された大師堂です。
ほとんどの建物が度重なる火災で焼失しているので、智積院の中では古い建物だと思います。 弘法大師空海の像が祀られています。
講堂
ここから先は拝観料が必要になります。
拝観料を支払い、まずは収蔵庫を見学。 写真撮影はできませんが、長谷川等伯一門の障壁画を見る事が出来ます。
門の奥に見えるのが 1995年に再建された講堂です。 元々、講堂は方丈と呼ばれていました。 講堂からは名勝庭園を見学する事が出来ます。
大書院と宸殿
庭園をのんびりと眺める事が出来る大書院。 その奥に見える建物が 1958年に造営された賓客を迎える為の宸殿。 宸殿の内部は非公開ですが、年1回特別公開されるようです。
大書院の縁側から庭園をのんびりと眺めます。
ここまで歩きっぱなしだったので少し疲れました。
砂がハート型ですね...。
拝観料無しで見れる紅葉スポットも多く、思ったよりも良い場所でした。
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